☆★5周年記念アンケート投票ありがとうございました!★☆



・投票いただいたキャラ全員出演を目指しました。
・順位によって登場頻度が変化していますが、厳密ではありません。(例外もあります。)
・「コウコ」「カナエ」「タクミくん」「さかなの庭」「ねぇ。」を先にお読みください。



a morning in conflict 1





 いつもの部屋のいつもの寝台は、その硬さも軽さも温かさも香りも、そして朝の気配の在り方も、気にしていないだけで何もかも知っている、ということを更古は今朝、始めて知った。
――幸陵様の部屋でもないな……。
とろりとまどろんだ意識は、なかなか上手に驚いてはくれないけれど、まだ目も開かないけれど、そのことはよく分かった。
 ここは柑絽が整えてくれるいつもの寝台ではないし、ここはたまに潜り込ませてもらえる幸陵の寝台でもない。蒲団は軽く暖かく、寝台にはいつもにはない弾力があって、寝心地は決して悪くないけれど、まるで違う。
 それでも危機感から覚醒することがなかったのは、ここが守られた場所だとどこかで気づいていたからかもしれない。
 息を吸うと匂いが違う。それでも気配が柔らかい。
 切り裂く冷たさも、重たい湿り気もそこにはなく、どこに熱源があるのか、火の音はしないけれど熱せられて軽く乾いて微かに動く空気は、鼻の頭にくすぐったい。
 瞼越しの明かりはまだ暗く、こんなに暖かくてもきっとまだ朝ではないのだ。
――朝じゃないのに。
火を落とした後の夜はどんどん冷えていくものだ。まだ誰も起きだしていない朝の少し前の時間は、大抵一番寒い時間で、その寒さから逃れて眠りを守るために冬用の蒲団があるのに、ここはどうしてこんなに暖かいのか。
 ふと、そう言えば幸陵は暑がりだったな、と思い出し、蒲団の外に出てしまっているだろう腕を思い描いて、こっそり笑って、実際どうしているのかを確かめたくなった更古は、やっとのことでまぶたを持ち上げた。
 ここはいつもの部屋ではないと気づいていたのに、そこに幸陵がいてくれるだろうことは疑っていなかったのだから、このときまで更古はまるで起きていなかったということなのだろう。
「……あれ…。」
瞼を上げて、暗い部屋の中の輪郭をそこに捉えて、やっとのことで疑問が口から出た。寝起きのそれは掠れて低く音としてとても小さく、更古の耳にはまるで怯えているようにも聞こえてしまって、そのことで意識がもう一段回起きる。
 瞬きと呼ぶには少し長めに目を閉じたのは、どこかで今見たものをなかったことにしたいと願ったからかもしれない。瞼を開くところからやり直したら、なかったことになるかもしれないと期待したからかもしれない。
――あれ。
けれど、見える景色が変わることはなかった。
 調度の輪郭が違う、どころの話ではない。部屋の角がきつい、装飾がまるでないのに粗末な感じのない家具の直線も、きっぱりと明瞭で、そこにはおよそ妥協というものがない。場所が違うというか、根本的な何かが違う。
 場所ももちろん違うだろう。
 蒲団の中に幸陵はいないし、そもそも寝台が狭い。狭いが一人で眠るには十分な広さはある。それにこの蒲団はなんだろう、軽いのにまるで発熱しているかのように温かい。それだけではなく、とても薄い毛皮の様な、外側に向かって立ち上がった毛並みが、体を覆って気持ちがいい。
 幸陵が更古よりも早く起きだしていることなんて日常なのに、その違和感の所為か、更古は蒲団の中で小さく震えた。
「起きたかー?」
そこに聞こえてきたのは知らぬ声だ。
 咄嗟に返事が出来なかったのも、咄嗟にどうすべきかの判断ができなかったのも、仕方のないことではある。
「まだ戻るのは早いだろ?課題持ってきてるんなら、ここでやるってこと――」
暗い部屋の先、開いた扉の向こう側から、夜明け前とは思えない強い光と、穏やかな湯気の気配が漂ってくる。話しているのはその扉を開けて顔を覗かせている人だ。
「――託生?」
その人が、言葉を切って、呼びかける。
――たくみ?
 体を丸めながら更古は少しだけ部屋の中を探った。漏れてくる光にその色も薄ら分かるようになったその部屋には、残念ながら、ほかに人の気配はない。
「二度寝すると後が辛いぞ。風呂場あったまったから、シャワー浴びて来い。」
足音はしない。
 けれど近づく気配はする。少しだけ衣擦れの音もする。その音が、その人の歩幅の大きさをなんとなく知らせてくれて、たぶん、きっと、蒲団を剥がれてしまうだろうと確信した更古は、それよりはと意を決して、頭を出した。
 都合、ちょうど蒲団に手をかけようとしていたその人と、ばったり目が合う。
――わ。
それがあんまり綺麗な人だったので、更古は一瞬思考を止めた。漏れる光にさえはっきりと見える白磁の肌、拭いたばかりなのだろう、散らかり気味の濡れ髪の毛先は淡く澄み、意志の強そうな瞳、整った鼻梁と、非の打ち所のない顎の線。遊女にさえ嫉妬されそうな顔立ちだ。女っぽいという意味ではなく――どうやらその人は男性の様だった。――欠点がまるでない、という意味で。
 その人が、蒲団を掴みかけていた手もそのままに、呆気にとられて更古を見る。
 驚いたのだろう、それは更古にもよく伝わって、それでもその人は、
「――託生は。」
更古の素性を質すよりも、居るべき人のことを声にした。
「俺は、その方のお名前も、今、始めて伺いました。わかりません。すみません。」
どう答えるべきか、と迷うよりも先に声が出たのは、その人の意識が更古の上を素通りして誰か別の、たぶん託生と呼ばれたその人のことを探そうとしているのが、更古にも分かったからだ。
 伸ばされていた腕がすっと引かれたので、更古はしっかり体を起こす。蒲団に入っているのはどうにも申し訳なくて、迷いつつ床に足をついた。
 その部屋の造りが、寝台の造りが、そしてその人の纏う服の形が、あまりにも独特で一度息を呑み、それでも今ここで、目の前に立つ人が気になっているであろう、そして更古も気になっていることからは気をそらさなかった。
 そらせなかったのかもしれない。その疑問の先に、どうしたらいいのかの答えがあることに、直感的に気づいていたから。
 見下ろせば、更古は寝間着のままだ。
 つまり、いつもの寝台で、いつものように少し高めの体温を隣に感じて、眠っていた、その時の格好のままだ。足が汚れているわけでもない、手が悴んでいることもない。
「ここは、託生さんと呼ばれる方が、いる場所なんですね。」
「――ちょっと……待ってくれ。」
どうして、とか、どうやって、とか、もちろん疑問には思った。
 けれどそれを問い質して得られるものよりも、もっとほかに更古には知りたいことがある。この人だってそうに違いないのだ。だから濡れていることも気にせずに髪の間に手を入れて、まるで頭の中を力技で整えるように、指先に力を込める。
「託生は。」
「わかりません。すみません。」
「どうして謝るんだ。」
「わからないから、ですね。」
「分かっているべき立場なのにわからないから、ということか?」
「分かっているべき立場という表現が正しいかどうかは分かりませんが、貴方が、俺に、託生さんに話しかけるつもりで声をかけたことは、分かります。とすると、俺が今いるこの場所には本来託生さんがいらっしゃったのではないかと思うんです。居てはいけないところに居るのは俺です。想像ですが。」
「つまり、貴方にも居るべき場所が、ここではないどこかにあるということか?」
――居るべき。
「……あります。」
「どうやってここへ?」
「分かりません。」
その応えがまるで予定調和であるかのように、綺麗な彼は浅く頷いた。
「いつ、ここへ。」
「分かりません。夜眠ったときは居るべきところにいました。目が覚めたときに、そこではなくなっていることに気づいた、という感じです。」
「ここにいただろう相手のことはなにかわからないのか。」
どうやって、いつ、来たのか、なんて聞いたのはその手段が知りたかったからではない。その手段が分かることで、居るべき人を取り戻す方法を探りたかったからだろう。
 それが分かるから、更古は少し眉を下げた。本当に申し訳ないと思ったのだ。
「――分かりません。すみません。」
「さっき謝ってもらったと思ったが。」
「ええ。でもこれは、俺が居てはいけないところに居ることに対する謝罪ではなくて、貴方の役に立つ情報を俺がなにも持っていないことに、俺はちゃんと気づいていたのに、問いかけられて応えるという形でしか、それを説明できなかったから。」
そうなのだ。
 繰り返しになるけれど、更古はよくわかっていた。
 彼が知りたいのは、ここに居るべき人の行方なのだ。それは更古も同じだ。ここではないどこかにいるはずの人の行方が知りたい。そこにたどり着く道が知りたい。
 だから同時に、それを自分が知らないこともまた、よくわかっていたのだ。
 話を腰を折るのが嫌だった、というよりは、彼が一つ一つ問うてくれることに、同じように一つ一つ答えることで、自分の頭の中を整理しかたったからで、だからその質問が核心にたどり着くのを、大人しく待ったのである。
 利用したと言うのは悪く言いすぎだろうか、けれどそんな気分にもなって、申し訳なさに拍車がかかった。
 少々まどろっこしい更古の説明に、その人は、瞬間虚をつかれたような表情になり、けれど一度の瞬きでそれをすっかり散らしてしまってから、苦笑するように息を吐いた。
「――どうも、貴方が悪い人に見えないな。」
人を見る目は厳しい方だと思うんだが、と聴かせるともなく独り言ち、彼は近場にあった椅子――だろう、珍しい形をしているし、随分すんなり動くと思ったら足には車輪がついていたが。――を引き寄せて、背もたれを抱えるようにそこに座る。
「ちょっと落ち着いて話しましょうか。」
すっと手を広げて、寝台を指したのはつまり、自分はそこに座っていいということなのだろう、と察して更古は素直に腰を下ろした。
「ありがとうございます。」
「礼儀正しいというか、腰の低い方ですね。」
腰掛ける場所を勧められて、その事に礼を言うのは更古にとって極自然なことだったし、更古の周りでも自然なことだったから、更古は曖昧に首をかしげた。
――……やっぱり、寝台も不思議だし。
座ってみてその弾力の不思議さに、どうやらここは今までいた場所とは随分違う場所なのだと改めて思う。
 それでも暗澹とした気持ちにならなかったのは、求めるものを見失わない自信だけはあったからだ。
 傍にという約束は、決して更古だけが受け取ったものではない。傍にいさせてくれる、と約束してくれた。それは時間をかけて、傍にいてくれる、という約束も形にしてくれたのだ。
 だから、更古はちゃんとそれを求めるし、求めた相手だって求めてくれるだろうことを、きちんと分かっていた。その意味で、不安はなかった。
「ここに来る前、どういうところにいらしたんですか。」
だから彼の質問には、きちんと落ち着いて答える事ができる。
「うまく説明できません。あ、いえ、俺は老師と呼ばれている方のお屋敷にお世話になっていて、街中の飯屋で働かせてもらっているということでしたら言えるんですが、たぶんそういうことをお聞きになってるわけではないですよね?この部屋の調度と、貴方の服装を見ると、大元のところがまるで違うことは分かりますから、その大元のところを説明したいんですが――」
「当たり前が違う相手に自分の中の当たり前を説明するのは、たしかに難しい。つまり文化というか世界というか、そういう常識の下地になっているものから違っている場所からいらしたということでいいですか。」
常識の下地。
「はい。」
常識が違う、というわけではないのだと思う。だって、きちんと会話をしたい時は椅子をすすめたり、話を聞きたい聞いて欲しいと思う相手には言葉が丁寧になったり、そういう感覚は同じなのだ。
 常識そのものには通じるところがあるということだ。
 それを上手に言葉にしてもらえたのが嬉しくて、更古は少し笑う。
「どうやってここにきたか、どうやってもどればいいのかは、わからない?」
「わかりません。……でも来たからには戻れると思うんです。」
「どうやって?」
「どうしましょうね?」
本当に不安はなかった。
 だから笑っていられるし、だから更古は更古らしい考え方で、迷いながらとりあえずの進み方を決めることだってできる。
「とりあえずは、ここのどこかに俺がいたところと似た部分というか、通じる部分を探して、そこから俺が居た場所がここから見てどこにあるのか知るところからでしょうか。」
「理には適ってるでしょうが、時間がかかり過ぎませんか。」
「それは、やってみてから。」
と更古が言うと、その人は腕を組んで、少しだけ黙った。
「――まあ、そうなるか。」
ぼそりとつぶやいて、組んだ腕を解いて、勢いをつけて立ち上がる。
「気持ちは急くんですが、とりあえず、調べるツールはここにもありますし、コーヒーでも入れます。飲みますか?」
「はい。」
こーひーがなんであるのか、更古にはまるでわからなかったけれど頷いた。何かを飲むことで落ち着こうとする習慣も同じものだと一つわかって、嬉しかったのだ。







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