留まり続けることについて。12





 耀の気持ちと、猩の誠実さを頭で理解して、薄ぼんやりと認めたような態度になっていたが、ずっと何かが物足りない気分は抜けなかった。
 その気分は、もちろん、耀に向かうものではない。彼は過ぎるほどによく出来た御子だし、御子なんて立場はちっとも恵まれてはいないし、苦労しかないと言っても言い過ぎではないと宋は思う。それ以上の何かを求めるのは酷だ。それに耀は基本的に、正直で、努力家で、そのままで十分に魅力的だ。
 つまり、物足りなさを感じていたのは猩に対してだったのだ。
 耀が御子であると言うことに対する覚悟が足りない気がしていた。耀は御子だからどういった覚悟であれ、してし過ぎることはないと宋は思うのに、猩はまるで、耀を意思があり判断力があり任せることのできる人物として信頼して、ある意味頼りにしている様に見えた――それが悪いわけではないし、それは猩の稀有な能力だとも思うし、参与という立場で見ればその力のお蔭で今回のことはうまく回っていると考え得るということもよく分かってはいたが――し、耀の言葉を待つばかりで自ら行動していないように見えた。
 そんなことではまるで物足りなかった。どんなに言葉を並べられても、それが少しばかり世話係の範疇からはみ出していたとしても、やはり物足りなかった。そういうことじゃないだろう、とどこかで感じていたのだ。
 そしてここに至って、猩は具体的に動いて見せた。
 宋は随分と嬉しかった。
 ついでに言えば、ああいう試みが宋は大好きだ。思いつくなら言えばいいのだ。駄目なら駄目だとそこで止める。存分に思い付きを持ちかけてほしい。
 止めようとするときの言い方がきつくなることがないでもないが、それだけきちんと止めてやっているということなのだから、馬鹿らしい思い付きでもどんどん提案してくれていい。
 それに付き合うのは吝かではない。
 だからどんなに深夜になったとて試食の準備が出来るまできっちり待ったし、宋一人の判断では不安だろうと陸も呼んだし、摧にも残ってもらった。それくらいの協力はしようという心構えが宋にはある。
 その前のめりな姿勢が相手の負担になることもあるのは百も承知だが、負担になることが悪だと宋は思っていない。それが嫌だと言うならやめればいいのだ。やめたいというのなら引き留めない。多少、馬鹿にはするだろう、宋からの信頼は損なわれるだろうが、それは裏切られた期待を発散するために必要な手続きだし、決して引き留めているわけではないし、計画そのものを馬鹿にしているわけではないし、本当に実現させたいのなら相手の選定は何よりも重要だと分かっていなかったのならそれは相手の責任だろうし、宋と合わないのなら、さっさと次の相手を探せばいいと心の底から思うのだ。
 合う合わないというのは大事だ。
 それはもちろん好き嫌いとは違う話だから、舌打ちするほどに嫌いな相手でも合うということはあるし、どんなに個人的に好意を持っていても合わないということはある。
 正直なところ、宋は耀をかわいいと思っているし、能力を認めているし、性格さえかなり気に入ってもいるが、耀と自分は合わないだろうなと思っている。
――まあ、猩とよく合うくらいだからな。
自分と合わないのもむべなるかな、と言うところだろうか。合う猩には是非とも全身全霊で頑張ってほしいものだと思わずにはいられなかったのだ。
 そんなわけで、宋は大変に機嫌がいい。
 試食した限りでは味も悪くなかった。
 御子の生活からはみ出さないのなら、そうやって耀の生活に彩と呼べるものが増えるのは大変に結構なことだ。
 もしも実現可能であるなら、他の御子に波及させてもいいことだと思う。
 が、
「不満そうだな。」
順序良く見やすく纏められた報告書の束を宋に届けに来た摧に、宋はつい苦笑した。
「何のことでしょうか。」
摧は頭の中の不満をあからさまに態度に出すことはないが、いつもなら角の乱れも全くない報告書の中の一枚が少しだけ斜めにずれている。纏めるときにほんの少し手つきが荒かったからだろう。
「猩のことだ。」
その紙の束を受け取って、今見れる分は見てしまうから、と摧を引き留める。機嫌の良い宋は、自分の機嫌を良くしてくれた事柄について僅かに高揚していて、誰かとそれについて話したい気分だったのだ。
 摧にとってはいい迷惑だったかもしれない。
 いい迷惑だと思ってもあからさまに嫌な顔をしないから、宋は摧を秘書として重宝している。
「――そうですね。」
嫌な顔をしないが、声に苦虫を噛み潰しかけたような呻きが混じった様には聞こえた。声にもあからさまな感情をのせることの少ない摧だから、宋の気のせいだった可能性はある。
「だめか?御子だってたまには味覚を刺激してもいいだろう?」
「参与がそうお考えになるなら、そうなのかもしれませんね。」
摧はよく抑制された人間だが、基本的に正直だ。否定とまではいかなくても、肯きたくないことには肯かないところがある。
「摧はそう思わないのか。」
「思いません。」
打てば響く速さであった返事に、報告書を眺めながら、宋は少し喉で笑った。
「何が不満だ。」
「――お尋ねがあったのでお答えしますが、私は基本的に御子への外部刺激は極力なくすべきだと考えています。夢から受ける刺激がどれだけの強度を持つのか知りませんが、他の刺激をそぎ落とすことで、夢から得られる刺激を繊細に感じ取ることができるようになる可能性はある。外からの刺激が増すことで、御子の主観が夢に混じってしまう可能性もある。」
「前例がないから、なんとも言えんが。」
「そうです、なんとも言えないんです。大丈夫だろう、というのは推測ではない。想像です。御子ではないけれど御子とほぼ同じ食生活をしている代理を用意して試験してから御子に施すべきです。」
「あー……言わんとしてることは分かるが。二十日鼠でも飼うか?」
「そうですね。」
「飼うのか。」
「飼いません。神殿にはそういう設備があるべきだと思う、という話です。」
「まあ、肯くかどうかは別として、その考え方に理解は示せる。」
「聖典はそれくらいのことをして守られてしかるべき有用なものです。今の状態がいいのなら、御子の暮らしを変化させるべきではない。特に最も優れた聖典を書く御子の生活を、徒に変化させるべきではない。ただ、変化なくしては失速するだろうという予測も、理解できます。維持するには変化というのはなくてはならないものでしょう。――だから、問題なのは、変化させるべきではないと考える私が、変化に加担する側にいることです。」
「今辞められたら困る。」
「辞めません。そう拙速に結論付けないでください。」
「変化を求める集団の中に、変化を嫌悪する人物がいるってのは、健全だと思わないか?」
「……どうでしょうか。」
「みんながみんな同じ方向を向いている集団が、俺はあまり好きじゃないんだな。逆方向に引っ張る力がないと張り合いがないだろう?一定方向に突っ走るのも気持ちが悪い。綱引きは個人の内面であれ、小さな集団であれ、大きなそれこそ国のような集団であれ、あってしかるべきものだ。だから辞められたら困るな。」
「――仰ってることは分かりますが、集団の中で逆方向に進もうとすることで、個人にかかる負荷を軽視している気もします。」
「だがお前は、同調圧力に屈しないだろう?自説にそれなりの確信を持っているんじゃないのか?」
「まあ、そうかもしれませんが。」
「だから、辞められたら困るな。」
「辞めません。」
「二十日鼠の施設は、城にはあるな。」
言葉遊びの様な押し問答などまるでなかったかのように、宋は摧の興味を引く話題を提示した。
「あるんですか。」
摧は先を促すような相槌を打ってしまうことになる。
 とは言え、詳しいところが聞ければ有難い。摧は冗談ではなくそういう設備があっていいと考えている。祐に新しい対応をしようと、摧自らが試みているから余計だ。






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