留まり続けることについて。13





「そりゃあな、あそこには神殿よりもずっと広い薬草園があるし、薬も毒も持ってて損はない。新種の開発もしてるし、あまり知られていないが新種の薬草を見つけて持ち込めば買い取ってもらうこともできる。だからまあ、もちろん効果を試す為の施設は必要だ。だがあれはなあ、管理は大変だし、金はかかるし、鼠で試す必要があるほどに恐ろしいものを用いていると思われる可能性もある。城のあの辺の区画には恐ろしい逸話がごまんとあるんだ。夜な夜な人が消えるとか、死体が生き返ったとか、もちろんそんなのは前時代の話だが。」
「夜な夜な人が消えて、死体が生き返ったのは、前時代の噂ですか?それとも現在の噂で、前の時代に実際にあったことということですか。」
「死体は掘り返しただけらしい。ともかく、そういう雰囲気の物を神殿に作るのはなかなかやっかいだ。」
「しかし、御子に与える薬湯はそういった施設があってしかるべきものだ、というのは事実ですね。」
「広く知れ渡るとやりにくくなる事実の一つや二つあったっていいじゃないか。」
「悪いとはいいませんが、いずれ明らかにしようとする方向に参与は動きたいのではないかと思いまして。」
「――だが、いずれだ。いずれ。少なくとも、御子の未来がもうちょっといいものになってからの話だ。」
それが、宋の中での切実さの差なのだろう。
 おそらくは神殿の中で屈指の薬草の知識があるからこそ、現状を上手く把握し調整できていて、現状への不安が強くはないのかもしれない。治験が出来るそのための設備を作るとなれば、そのための人が集まってくることになるし、日々そのことだけを考えて仕事ができるとなれば、その部署の知識はすぐさま宋個人を乗り越えることになるだろう。そうなれば、宋個人が全体を把握することは逆に難しくなるとも考えられる。
 宋がそんな風に考えたかどうかを摧に知る術はなかったが、後回しでいいと宋が主張する理由を、そう解釈することはできた。
「俺は、今回の試みは上手くいくんじゃないかと思うんだ。少なくとも、あれだけ安定している耀の御子としての務めに大きな影響を与えることはない。」
「断言できるのですか。」
「するのが仕事だからな。」
摧は本当に、聖典は守られるべきだと考えている。
 だから無責任な変化を歓迎しない。
 ただ、やる気があり人望があり権力を持っている相手に立ち向かおうとは思わない。ましてやその相手が、大丈夫だと責任を請け負うならなおさらだ。
 不満ではあるのだけれど、まずは、という期待がまったくないわけでもないのだ。



 手頃なさかなが聖餐に出されたのは、試食をした夜から数えて4日目のことだった。
 払拭を終えて――ところで、ただじっと立っているのが暇なのか、耀は最近払拭中にちょっとした悪戯をしてくる。髪をつまんだり、肩をつついたり。悪戯と言ってもそれは払拭が妨げられるほどの頻度ではなく、一度か二度、猩が反応し耀が極小さな声で笑うということがあれば、耀は大人しくなる。その悪戯は楽しいし、耀がいちいち可愛く見えて、猩はたまに困惑するが。――、空魚を運ぼうと御食場に入り、そこに届けられていた姿を見て、猩にしては珍しくこれだと確信をもって思えた。
「――耀様。」
御食場から顔を出して名前を呼ぶと、机の前に大人しく座っていた耀の顔が、ぱっと持ち上がる。
「こちらに。」
手で呼ぶと、耀は小さく首を傾げた。
 鉛色の眼で真っ直ぐに猩を見たまま、そこに疑問を浮かべたまま、耀は動作に迷いは見せず、椅子から立ち上がって机を回り込んで、猩の方へ来てくれる。
「聖餐、は?」
「もちろん、していただきます。」
小走りになることこそなかったが、あまりにも淀みなく自分のもとへ来てくれたので、猩はちらりと抱き留めてみたかったかもしれない、なんてことを考えた。両腕を広げて待っても、耀はそこに来てくれるのだ。そうしたら抱き締めて、少し笑いあってから、解放しよう。
 考えてはみるが、もちろん実行するつもりはない。耀がどう思うかという以前に自分にはまるで似合わない行動だ。
「その前に少し。」
「少し?」
「ええ、耀様に、やってみて欲しいことが。」
「俺に、やってみて欲しい、こと?」
「はい。」
御食場に戻れば耀はちゃんとついてきてくれる。
 そこには、いつも通り大人しく横たわる空魚と、あらかじめ用意しておいた薬草と、浅く水が張られた鍋。
「料理です。と言っても、空魚にちょっとした味付けをするというだけなんですが。私も不慣れですが、迚に教えてもらってきました。」
「りょうり……。」
言葉の音を吟味するような耀の声に、ふと心配になる。
「あまり興味を引かれないようでしたら、無理することはないんですが。」
少しでも御子の世界を押し広げられたら、少しでも耀に楽しみを与えられたらと思ってはいるが、押し付けたいわけではないのだ。
 耀は好奇心が強い方だからきっと興味を持ってくれるとは思うが、今回のことは押し花のときとは違い、猩が一方的に用意したことなので、もちろん耀には拒否する権利がある。
「りょうり、猩が、教えてくれるの。」
「はい、そうなりますね。」
「じゃあ、やる。」
耀は少し体を揺らして、声もほんの少し高く聞こえる。
 表情を伺えば、好奇心に満ちて空魚をまっすぐに見ているし、無理している様子もない。と、耀が視線を動かしたから、不意に目が合った。
 目が合ったからか、高揚しているからか、耀はどこか照れたように表情を緩ませ、笑い声の混じった息を吐く。
「ええと、」
僅かに動揺して、猩は誤魔化す為に苦笑した。
「払拭をしたばかりですが、とりあえず手を洗いましょうか。」
促せば耀は素直に従ってくれる。どことなくそわそわして見えるのはこちら側の期待の表れだろうか。猩も一応手を洗い、耀と並んで御食場に立つ。
 非日常にある座りの悪さを感じるのは、猩自身もそわそわしているからだろう。
 これは本当なら、料理と呼ぶのも申し訳ないくらいの小さな遊びなのだということは、猩にも分かっている。改まる必要なんてないのだ。緊張する必要もない。それでもあえて料理という呼び方をしたのは、この些細な遊びが耀にとって扉の一つになればと思うからだ。これは入り口を示す矢印でしかないけれど、その先には広くて深い世界が広がっている。
 食べて楽しんでもいい、見て楽しんでも、もちろん作って楽しんでもいいのだ。そういう楽しみを楽しむ力はちゃんと耀の中にあるのだから。
 とはいえ、やはりいまからやろうとしていることそのものは、些細なお遊びには変わりない。
 もったいぶることもないかと、猩はもう一度苦笑して、耀を見て、今度は苦笑でなく笑って、それから並べられているものに目を向けた。
「鍋の中に薬草をいれてください。こちらは後から入れますので、この束になってる方を。」
「うん。」
耀は並べてあった薬草の束を掴んで、それをそのまま鍋に落とす。
「あ。」
「あ?」
「あ、いえ、いいんですが、できれば底に敷くような感じで広げていただけると。」
なかなかに思い切りのいい動作だった。鍋に入れるというか、鍋に投げ入れるに近い。
 その何が悪いわけでもないが、少しばかり面白い。
「広げる。」
そうだったのか、と頷いて、耀は指先を鍋の中に入れた。原理的には魚の体の全体がきちんと薬草の上に乗ればいいわけだから、そんなに丁寧にする必要もないのだが、耀はどうやら慎重に事を進めるつもりらしい。
 束になっていたものを真ん中から左右に広げて終わり、というわけではなく、鍋底に均等な厚さで、薬草の種類にも偏りがない様に広げようとしているのか、一本一本を選り分ける様に移動させる。






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